会津若松市内の自宅でシステムエンジニアの仕事をする渡部さんは、都内の企業に勤務。リモートワークで仕事を続け、会津若松市での在宅勤務を実現させることができました。「東京で長く暮らしましたが、東京にいなければ何かが出来ないと感じることはなかったんです」。実家にほとんど帰れなかったほどの多忙な生活を送っていた渡部さんは、徐々に故郷に戻ることを考えるように。「僕は、帰ってこない長男と認識されていたから、会津に戻るって聞いたとき、親はかなり驚いたでしょうね」と笑います。
会津は渡部さんにとっては故郷でも、東京都出身の奥様には、縁の遠い土地でした。「妻は、東京を生活の場ではなく、帰省する土地と捉え直したようです」。新選組が大好きな奥様は隊士が戦った会津若松市に関心が高く、家族全員が賛成したことで、お子さんが小学校に入学する時期に会津に移住することを決意しました。 東京から離れて暮らしてみて、気づいたことは情報の入り方の違いだと渡部さんは言います。
「ここでは、能動的になることで、流れが変わる。自分で情報を掴むことの大切さを感じました」。
渡部さんは、会津暮らしの中で、お気に入りの場所をさっそく見つけています。「近所のマルシェや図書館が好きですね。少し足を伸ばせば猪苗代湖もある。僕は風車に目がなくて、隣町の布引高原(郡山市湖南町)に2日連続で行くこともあります(笑)。家族は近くのひまわり畑に連れて行って、僕は風車を見に行く。朝早く風車を見に行ってから仕事を始めることもあります」。