INTERVIEW

#35

自然の中の暮らしで深まる、家族の絆

福島県 東白川郡 棚倉町 在住
秋山健人(あきやまたけひと)さん・理恵(りえ)さん夫妻
夫の健人さんは静岡出身、妻の理恵さんは郡山生まれ静岡育ち。
3人の子どもたちと共に家族で棚倉町へ移住し、理恵さんの両親や祖母とともに暮らす。
健人さんは林業、理恵さんはキュウリ農家や地域の伝統食である凍み餅作りと、それぞれに新たな目標を見つけて活動中。

家族の歴史を受け継ぐ決意

福島県の南部、栃木県と茨城県に接する棚倉町は、かつての城下町の面影を残すのどかな町。秋山さんファミリーは、2015年に静岡県から家族揃って移住し、自然に囲まれた中で、活き活きとした毎日を送っています。

もともと棚倉町には理恵さんの父方の祖父母が暮らしていましたが、幼い頃に福島県から静岡県に引っ越していた理恵さんにとって、棚倉町はお盆やお正月に家族で帰省する場所だったそう。帰省の際、3姉妹の長女だった理恵さんは、家族から「この土地はお前が継ぐんだよ」と言われていたそうで、「先祖代々受け継がれてきた家と山と田んぼはいずれ私が守らなくちゃいけない」と、子ども心に刻まれて育ったと言います。その“いずれ”が“今”に変化したのは、夫の健人さんと結婚し、子どもが生まれてから。生活の拠点をどこに置くか考え始めた時に、自然と棚倉町で暮らすという選択肢が出てきましたが、中々決心が付かずに数年間・・・。悩みに悩んでようやく心が決まったのは、長男の小学校入学のわずか2ヶ月前!

「入学したあとに引っ越すのはかわいそうだったので、今しかない!って感じでした。友人たちからは『年取ってからでもいいんじゃない?』と言われたのですが、年老いてから慣れないところで暮らすほうが不安だし、若いうちに生活の基盤を作れた方がいいのかなと。」(理恵さん)

一方、静岡県出身の健人さんにとっては、棚倉町は未知の場所。いずれは移住することに賛成でしたが、今すぐに慣れ親しんだ街を出て他の土地で暮らすことには迷いがあったそう。それでも忙しい毎日の中で、この生活を続けていくことへの漠然とした不安はあり、その点が移住について前向きに考えるきっかけになったとのこと。

「その頃は朝から夜まで働きづめで、年齢を重ねるごとにこれでいいのかと思うようになって。その中で“移住”という新しい生き方に惹かれた部分もありましたね。今では子どもとの時間も取れるようになって移住して良かったなと思います。」(健人さん)

移住後は、理恵さんの祖母や両親とともに敷地内に同居。理恵さんの心配をよそに、子どもたちはすんなり棚倉町の暮らしに溶け込み、毎日元気に野山を駆け回っています。

子どもたちも「僕はあっち(静岡県)にもこっち(棚倉町)にも友達がいるんだ!」ととても前向きで、結果的にご家族にとってポジティブな第一歩となったのです。

アイデア次第で可能性が広がる里山暮らし

移住後3ヶ月ほどは、暮らしに慣れる意味もあり、仕事を決めずにのんびり過ごしたと言う秋山さん夫妻。何気なく祖母の畑仕事を手伝ううち、農業に興味が出た理恵さんは、2019年にキュウリ農家として就農。作業は地域の先輩方を訪ねてイチから学びました。

健人さんもそんな理恵さんを支えながら、自身は前職と同じ林業関係に就職。今では独立し、チェーンソーの技術を競う大会の練習に励むなど、それぞれやりたいことをかたちにしています。

「何もないからこそ、ゼロから作れる環境がいいですね。今、畑にしている場所も元は田んぼだった土地を転換したんです。アイデア次第でなんでもできるのは、リアル『あつ森』みたい(笑)」(健人さん)

「発見だったのは凍み餅。初めは『これ食べ物?』って思ったのですが、食べてみると本当においしくて。祖母しか作り方を知らなかったので、この味をぜひ残していきたいと思い、一緒に作って覚えました。私が覚えていれば、次の世代に伝えることもできますからね。」(理恵さん)

さらに理恵さんは祖母のオリジナルレシピの凍み餅を多くの人に食べてもらいたいと、商品化にも着手。「ごぼうっぱワークス」の名で、直売所で販売を始めました。「以前よりずいぶん忙しくなって、じっくり子どもの相手をしていられないときもありますが、その分、頑張る姿を間近で見せてあげられていると思います」と晴れやかな表情。今後はそばの栽培やさまざまな加工品の開発も手がけられたらと、夢を膨らませています。

先祖がつないだ“地縁”は宝もの

地方への移住で誰もが不安に思うことといえば、見知らぬ土地で暮らすという心細さではないでしょうか。何度も遊びに来た場所とはいえ、秋山さん夫妻にとってもそれは同じことでした。しかし、いざ棚倉町での生活が始まり、町の人々と触れ合う中で感じたのはいかに“地縁”が大切かということ。

「すでに亡くなっている祖父の名前出すと、『ああ、あそこの孫か』といった調子で安心して心を開いてくれるというか、すぐ通じるんですね。それが本当に大きいです。」(理恵さん)

昔ながらの集落らしい密な人間関係は窮屈に思いがちですが、おかげで不安に思うこともなく、むしろそういう土地柄だから受け入れてもらえたと考えているそう。今後、自分たちのように家族に所縁のある土地への移住を目指す方には、「親や祖父母が元気なうちに、早めに実行に移してほしい」と語る理恵さん。「周りが代替わりしてしまうと、“コネ”も使えませんから(笑)」と、実体験に即したアドバイスを教えてくれました。

「いろいろ悩んだ私たちだからこそ言えるのは、悩んでいても何も始まらない、住んでみないとわからないこともあるということ。迷うなら行ってみよう!って伝えたいですね。」(理恵さん)

「僕は移住するまで、自分の生活圏以外のことは何も知らなかったんだなと思いました。今は知らなかったことを知るのが楽しいし、地元の人が当たり前にしていることも僕には新鮮。やりたいこともどんどん出てきて渋滞中です。もう前の暮らしには戻れないですね。」(健人さん)

秋山さん夫妻にとっての移住は、それまでの価値観を大きく変え、生きる活力をも与えてくれたかのよう。日々の充実ぶりを、子どもたちの元気な姿と夫婦ふたりの清々しい笑顔が物語っていました。
━━取材を終えて
秋山さんファミリーが移住によって最も変化があったのは休日の過ごし方だそう。以前は家にいてもすることがなく休みのたびに出かけていましたが、今は子どもたちは広い敷地で遊び放題、理恵さんと健人さんもそれぞれに好きなことができる環境になったと話していました。「不便さは決してマイナスではなく、可能性がたくさんあること」と、変化を前向きに捉え、新しい暮らしを楽しむ姿を見て、秋山さんたちの移住が成功した理由がわかった気がしました。

(掲載:2020年10月)

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