須藤Bond亜貴さんは、東日本大震災のニュースをポーランドで聞きました。福島出身の日本人として、急遽TV出演を要請されるほど、海外にも大きな衝撃をもたらしていたと当時を振り返ります。
亜貴さんの実家は、1970年代からアイガモ農法(※)を取り入れ、無農薬の農作物づくりを続けてきました。震災後、原発事故の風評被害で、会津産のお米からも消費者が離れ、岐路に立たされます。折しも父親が病のため体調を崩したと聞いた亜貴さんは、「私でも、父や兄の力になることが何かできるのでは?あの無農薬栽培は価値があるもの!守っていきたい!」と実家の仕事をすることを決意。2014年4月、会津に戻ります。
亜貴さんは、アイガモで育てた米を料理に合うように工夫。パッケージデザインにも力を入れた6次化商品の開発を手掛け、通販、イベント出店などの営業を担当しています。
多忙を極めながらも送り出す商品には、自社商品を通して、身体に良いものを届けたいという亜貴さんの願いが込められています。「ポーランドで29歳の友人が、白血病になってしまったんです。日に日に痩せていくのがわかって、とても辛かった。医師から食事や身に着けるもの、すべてをオーガニックに変えなさいと指導されたところ、彼女は健康が回復したんです。」そのとき亜貴さんは、身体に取り入れる物の大切さを痛感したと言います。
※水田にアイガモを放つ農薬を使わずに栽培できる方法。アイガモは害虫を食べ、泳ぐときに土をかき回し、ふんは肥料になる。稲が実る時期にはアイガモは捕獲され、冬の間に食肉として販売される。